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クラウンとピエロ(2)

クラウンとピエロ(2)

 ピエロ恐怖症

 ロシアのサーカスにも「クラウン」がいます。かつてはサーカスと言えば、馬の曲乗りだったそうですね。馬が脚を痛めないように会場の地面は砂やおが屑が一般的でした。だから、人間の芸の時にはいちいちカーペットを敷いていたそうです。そして、それがクラウンの役割でした。ですからロシアではクラウンのことを「カビョール(カーペット)」と呼ぶのだとか。しかし、このサーカスクラウンにはもう1つの大事な役割がありました、それは、曲芸で起こってしまった事故の後に出てきて、観客に今起きたことを忘れさせることです。「クラウン」たちは、今起きた事故の衝撃や動揺を心の中に封じ込め、陽気なバカ騒ぎを繰り広げます。「あんなにふざけたことをやっているんだから、事故はきっと大したことなかったんだ」と観客に信じさせれば成功です。多くの観客はまんまと騙されて、テントを出るときには事故のことなどすっかり忘れ、笑顔と興奮だけを土産に家路につきます。しかし、ほんのわずかの、繊細すぎる感性を持つ観客、つまり幼い子どもなどは、そこに何かしらの翳りや悲哀を見てしまうのでないでしょうか。
 私は幼い頃「ピエロ恐怖症※」でした。今でも自分以外の「クラウン」は苦手です(笑)きっかけは幼い頃、両親と一緒に見た「大西部サーカス※」でした。会場がどこかは忘れてしまいましたが、フェンスで囲まれた広い場所で、西部劇さながらの曲乗りや決闘、駅馬車襲撃、インディアンとの戦いなどが演じられたのを今でもよく覚えています。とりわけ強く印象に残っているのは絞首刑です。1人の犯罪者が馬に乗ったまま首に縄をかけられ、誰かが馬の尻を叩くと馬だけが走り去って、乗り手はぶらんと2本の柱の間にぶらさがります。私はフェンスにかじりつきその光景をふるえて見ていました。次の演目であるクラウンの演技の間も、私の脳裏には初めて見た絞首刑の映像がこびりついており、あの人は本当に死んでしまったのではないか、それなのに両親も他の観客もなんでクラウンたちを見て大笑いをしているのか、そんなことを感じ考えていたのだと思います。ですから、演目が終わり1人のクラウンが回って来て私に握手を求めてきた時、思わず怖いと思って両親にすがりつきました。あんな残酷なシーンのあとにニコニコ笑っている顔が恐ろしかったのです。今思うと残酷なシーンを見た観客への配慮なのでしょう。両親はしきりに握手に応じさせようとするのですが、私は頑なに拒みました。やがて諦めたように去って行くクラウンのさびしそうな顔。それは今も忘れることができません。

※「ピエロ恐怖症」
 ピエロを極度に恐れる子どもや大人がいます。特に子どもは泣きわめき、逃げ惑いま  す。何年か前に「ヤマンバ」メイクの男性が観客にいて「あたしよりスゴーイ」と言  われた時には傷つきました。まっ、すぐに友達になりましたけど。それにしても「ヤ  マンバ恐怖症」とか「ふなっしー恐怖症」なんてのもいるんじゃないですかね。

※「大西部サーカス」
  1962年の夏に東京体育館などで上演されたサーカスです。私も都内で見たことは  間違いないのです が、東京体育館だったかははっきりしません。


 「Send in The Clowns(クラウンを出して)」

 バラードの名曲に「Send in The Clowns(クラウンを出して)」という曲があります。作詞は『ウェストサイド・ストーリー』で有名なスティーヴン・ソンドハイム。彼の代表作『リトル・ナイト・ミュージック』の中で切ない恋の歌として歌われます。ヒロインの役柄が旅回りの女優という設定なので、「クラウン」には馴染みがあるのかなと想像するのですが、なぜ「Send in The Clowns(クラウンを出して)」と繰り返すのかは解釈が難しいようです。「クラウンを出して!」と言うのは、綱渡りに失敗して落下した女性だと説明する人もいます。事故を起こしてしまった本人が、痛みに耐えながら周囲の仲間に訴える言葉だというのです。でも、この歌のシチュエーション、つまり妻帯している昔の恋人に切ない恋心を打ち明ける場面とマッチしません。失恋を予感した彼女が「こんな暗い場面にはクラウンが必要だわ」という思いを表現したものなのか、あるいは誰かに失恋の悲しみを癒してほしいということの暗喩なのでしょうか。とにかく、この歌での「クラウン」の役割もまた、けして明るく楽しいものではなく、人生の悲哀を感じさせる切ないものです。
 これも余談ですが、静岡の大道芸ワールドカップに行ったときに、珍しくクラウンのコンビ(日本人ではありません)が出場していました。彼らのパフォーマンスのあとで、アクロバットの男女がやって来たのですが、投げ銭を集めたり観客と握手している彼らをアクロバットの女性が、大声で叱ったのを見ました。言葉は分かりませんでしたが「邪魔よ。早く消えなさい」と言っているのは明らかでした。掌を翻して「シッシッ」と追い払う感じです。そして、クラウンたちは大きな身体(2人とも大男でした)を丸めて、すごすごと退散したのです。これは彼らだけの特別な関係性なのかもしれません(不仲だとか、その女性が苦手だとか)が、あるいは西洋におけるクラウンの地位というのは、他の芸人より低いのかなという感想を持ちました。「のろま、田舎者」というのが、単なる客向けの呼称ではなくて、実質的な階級にもつながるものかもしれないということです。この点については単なる私の推測に過ぎません。誤解があれば訂正していただけると助かります。

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